吉田拓郎さんの「アジアの片隅で」がリリースされたのが1980年11月。
政治家の首がすげかわり、
子分どもは慌てふためき、
甘ったれの子供達は権利ばかりを主張して、
昭和が過ぎ去り平成を経て令和がくる。
この国は、
いや、
世界は、
人々は、
何を学び、
何を得ながら歩いていくのだろう。
昨日スリランカで自爆テロが起き、200人以上の犠牲者がでた。
アジアの片隅で狂い酒を飲み干して、
君がもう歌わなくなった歌を歌う。
アジアの片隅で狂い酒を飲み干して、
君がふと思い出しかけているあの歌を歌う。
アジアの片隅で、
君が今口ずさもうとしているあの歌を、
アジアの片隅で、
君の胸を高鳴らせたあの歌を歌う。
そして最後に歌う歌が、
新しい希望の歌になり、
またそこから歩き出す。
隣で誰かがいがみ合い、
意味もなく絶望に襲われ、
裏切りを繰り返し、
人が倒れ、
町が朽ち果て、
時折誰かの温もりが頬を撫でる。
これが世界なのか。
これが私たちの全てなのか。
歯痒くて、
居たたまれなくて、
喉をかきむしるような自問自答を繰り返す。
「アジアの片隅で」を時々口ずさむ僕がいるように、
「いつかこの歌が」が誰かの胸に留まって、
心の中に小さな革命を起こし、
これじゃいけないと立ち上がり歩き出せる人がいるといい。
僕はそういう歌を歌う使命があると、
勝手に思っている。
Comments