この曲を語る時に、
昨年の屋久島での出来事は避けて通れない。
2018年、屋久島で開催された「やくしま森祭り」。
毎年屋久島で行われている野外コンサートだ。
オープニング枠の出演をかけての公開投票オーディションがあり、
僕もオリジナル曲の「キョウメイ」でエントリーさせていただいた。
やくしま森祭りのホームページにある各アーティストの動画にワンクリックで投票してもらうシステムだったのだが、
ありがたくも1200票を超えた票数でグランプリを獲得することができた。
これは本当に日頃応援してくださっている皆様のお陰で、
これほどまでに強く皆さんと一丸となって目標に向かっていったことがなかったから、この曲のタイトル通りまさに皆で「キョウメイ」し、感動し合えたグランプリだった。
(2016年のエマージェンザジャパン・コンテストもあったけど、あの時もすごかった。おかげさまでファイナルまで勝ち上がった。重ねてありがとうございます。)
アルバムタイトルがこの「キョウメイ」になったこともとても感慨深い。
あの時応援してくださっていた皆さんも同じ気持ちなんじゃないかな。
このアルバムは、「僕の」ではなく、「みんなの」アルバムなんだ。
巷には、
希望に満ちた言葉だけを用いてメロディに乗せていく歌が沢山ある。
でも、本当はどうなのだろうか。
希望に満ちた言葉を吐き出せないことの方が多いのではないだろうか。
せめて歌の世界だけでも…というのもわかる。
しかし本当に大切なことは、
今目の前で巻き起こる荒波をどう乗り越えていくか、だ。
その指針であったり、
勇気付けであったり、
真逆の答えでもいい。
色々な気持ちや答えを導き出せるのが歌であり音楽なのだと僕は思う。
かつて奴隷であった黒人はなんの娯楽もない世界で、
自分たちの苦しい状況をメロディに乗せ、
皆で歌い紡ぎながら自らの心を癒し、奮い立たせ、現実と戦った。
歌というのはそうして生まれていったのだ。
言葉だけだとどうしても鋭くなってしまうし、重くなってしまうかもしれない。
受け止めきれないかもしれない。
だからメロディがあるのだと思う。
真実や現実から目を背けずにいるためにも、言葉だけはまっすぐでなければならない。
慰めではなく、励ましを。
傷の舐め合いではなく、苦しみを分け合えるように。
「世界中が手を繋ぎあう」ことが綺麗事に聞こえない世界にするために、
「大切な人を失う気持ち」を心から分かり合えるように。
互いの正義を認め合えるように。
僕らが生きる上で必要なものは、
耳障りが良く都合のいい言葉ではない。
心をギュッと締め付けて離さない言葉だ。
少しでも救われたと思えるような言葉だ。
思い出したように聴き返して、
明日へと踏み出せるような言葉だ。
そんな歌が歌えるようになるために、
どこまでも強くそして優しくなりたい。
そのための日々です。
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