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セルフライナーノーツ: Blog2
  • 執筆者の写真吉田拓矢

レノンディラン

僕が、自分の意思で音楽を聴き始めたのは小学校6年生くらい。

その当時ヒットしていた曲は例えば、

米米クラブ、リンドバーグ、ウインク、永井真理子、大江千里、槇原敬之やバブルガムブラザーズなどの邦楽で、

周りに洋楽を聴いている大人はいなかったから、そんなポップス曲をテレビから聴きかじったり、友達が買った8センチのシングルCDを貸してもらったりしていた。

山田邦子の「やまだかつてないテレビ」なんかでKANの愛は勝つを覚えたり(なつかしい 笑)。

音楽の情報はほとんどがテレビからだった。

そんな時に尾崎豊が亡くなって、

ワイドショーなんかで連日、彼がギターを抱えて歌う姿が流れて。

衝撃的だった。

今まで綺麗なメロディ、綺麗な声、煌びやかなポップスという歌の世界しか知らなかった。

吐き捨てるような、切ないような、荒々しいような、目まぐるしく変わる歌い方で表現するミュージシャンをその時に初めて見たのだ。

ロックと言っていいのかはわからないが、

なにかそういう感情の赴くままに表現するアーティストを見たのだ。

気がつけば自らもアコースティックギターを抱えて、毎日のようにガナリ飛ばして歌っていた。

尾崎豊の影響はかなり大きかった。

中学生に上がると、

バンドに興味を持ち始める子供もチラホラ出てくるのはきっと昔から変わらない現象で、

例に漏れず僕の周りもギターなんかに興味を持ち始めて。

これまた例に漏れずバンドなんか組み始めて。

そこからようやく、

ロックがどんなもので、洋楽という世界があって、エレキがあって、、、などという世界を雑誌なんかから吸収し始めた。

よく考えてみれば、

たかだか20数年前の話だ。

もうすでにレッドホットチリペッパーズが、オアシスが、ジャミロクワイが、パールジャム、ニルバーナ、ビョーク、レディオヘッドなんかが紙面を飾っていた。

沢山のアーティストやバンドがいすぎて、全てを聴くのは本当に大変だった。

その中でもまぁなんとか、

布袋寅泰が当時の僕らのギターヒーローだったので、彼がしきりに話すデビッドボウイから派生してグラムロックを聴き漁り、70年代のロックに触れてようやくツェッペリンやなんかに傾倒できたくらい。

そんなことをしている間にもロックは急速なスピードで進化を遂げまくり、ミクスチャーロックなどの言葉を作り出してラップやジャズやファンクなどをごちゃ混ぜにして思いっきりヘビーなギターの音でコーティングしたバンドなんかを輩出しまくった。

ヒップホップスタイルやスケータースタイルなんかが取り入れられて、馬鹿高い値段のボロボロの古着なんかをみんな買い漁って。

…僕らはもう虜だった。

何に影響を受けたかもわからないくらいにごちゃ混ぜにして弄られまくったロックバンド達に。インキュバス、コーン、コールチェンバー、リンプビズキット、サム41、フーバスタンク、デフトーンズ、ビースティーボーイズ、リンキン・パーク…

だからそんな僕らにとって、

ビートルズというのはとても簡単で地味な音楽で、ディランはフォークソングだったのだ。

(あくまでイメージの話。)

同世代のミュージシャンに尋ねても、当時しっかりビートルズ聴いてきましたってヤツは本当に少ない(笑)。

じゃあなぜ、

今になって僕はジョンレノンやディランを目指すのか。

…まぁ、我がプロデューサーの影響はかなりあるが(笑)、

よくよく考えてみると、

僕自身が音楽に対して求めていることが変わってきたからだと思う。

ジョンレノンは何を訴えようとしていたのか。

ディランは何をつぶやき、時に吐き出しているのか。

衝動的な音の煌びやかさや、

カルチャーとしての華やかさに目がくらむけど、それは刹那だ。

何かに抗いながら、

一貫して発信し続けてくれた愛のメッセージが、レノンやディランの歌の中にはたくさん隠されている。

そんな歌が聴きたいのだ。

そんな歌が欲しいのだ。

「こんな時代だから」とかそういう類の話じゃない。

これこそがまさに音楽が持っているエネルギーなのだ。

そのエネルギーに触れていたい。

ただガナリ散らして歌ったからってロックじゃない。

ただ歪んだギターの音があるからロックなのではない。

ファッションではなく、

カルチャーでもない。

何かに抗いながらLOVE & PEACE を発信し続けていく精神こそがロックなのだ。

それを思って聴けば、なぜジョンレノンやディランがロックアーティストと言われているのかがよくわかる。

そして、

僕もそんな彼らのような愛の歌を歌えるようになることができたなら、本望だと思っている。


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