このセルフライナーノーツもいよいよ最後の曲となった。
流石にこれだけの曲数に対して文字を作るのは結構大変なものがあったが(笑)、
それでもやはり、
新たな発見があったり再認識することがあったりと、自分自身を顧みることができてとても充実している。
またこれをご覧になっている皆さんも、
また改めて曲を聴いた時に、もう一歩、二歩、深く曲を聴くことができるし僕と同じ気持ちを共有し「キョウメイ」していただけるのではないかと思う。
さて、それでは14曲目「狂おしい日々を」。
僕の大好きなアーティストの一人に、
加川良がいる。
到底たどり着けそうにないその詩の世界の領域を見上げながらいつも歌を聴いている。
この「狂おしい日々を」は、
その加川良さんの「女の証」という歌のベクトルを孕む。
こんな種明かしは本当はするべきではないのかもしれないが、
この「狂おしい日々を」の詩の素晴らしさと、加川良さんへの敬愛を込めて書き記しておきたい。
僕としてはもうこの上ない程のことだから…。
詩の中のどこをどういう風に…なんていうのは野暮なので割愛するが、
この歌を歌う時にはいつも加川良を思う。
自分の曲の中に彼をイメージするものがあるというのは正直なところとても嬉しい。
「もはや石に風にもなれないが」
「新しい歌を歌っていこう」
「冴えない奴らが /そうさ俺たちが」
…たくさんのオマージュが散らばっている。
「冴えない」というのは客観的なことであって、
本質である僕たちはずっと何かに抗っている。
人にどう見られようと、
誰も知らないところでずっと抗っているのだ。
生きる証を拾いあげながら、
この道は歩みを止めるまでずっと続いていくのだ。
ーもはや石にも風にもなれない。
ならば肩の力を抜いていこう。ー
この潔さがなんとも言えず好きだ。
決して開き直っているわけじゃない。
事実をあるがままに受け止めて、それでも尚、前に進もうとする強さだ。
この「狂おしい日々を」にはそんな強さが滲んでいる。
炎のように勢いを増して前進するのは正直容易い。
しかし燃やすものがなくなれば、やがて炎は小さくなり燃え尽きる。
本当に難しいのは、
川が流れるが如く絶えず進んでいくことだ。
その水はやがて、大きな海原へとたどり着くだろう。
新しい歌を口ずさみながら、
絶えず流れ続けていくことだ。
肩の力を抜いて。
この狂おしい日々を。
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