この曲もかなり前から出来上がっていた曲だ。
しかしながら、
一向に自分のものにならない感覚がつきまとった曲でもある。
なぜだったのだろうか。
歌の中に、
混沌を抱えた青年を連想し、
まだあどけなさが残る女性が見え隠れし、
なにかを悟ったような人がいて、
なにもわかっていない誰かもいた。
何か恐ろしいものが近づいてくるような。
なにか悪い企みに嵌められてるような。
焦っているようで、落ち着いている。
絶望しているようで、希望も持っている。
「僕」という一人称の視点から発しているようで、そうではないような感覚にもなる。
感情のループを感じるのだ。
しかしながら、
人の思考などそんなものなのかもしれない。
そして、誰もがいろんな顔を持つ。
父であり母であり兄であり姉であり。
弟であり妹であり彼であり彼女であり。
師であり弟子であり友であり仲間であり敵であり正義であり悪であり。
何度も同じ感情をループして、
絶望して、
また希望を抱いて。
やがてその混沌に陽が差し込んできて、
次の朝がやってくる。
今回のレコーディングに入るとき、
この曲だけが唯一の憂鬱だった(笑)。
ずっとこの歌に対して心の置き所を見つけられなかったからだ。
しかしこの曲もまた、
今回のアルバムタイトル「キョウメイ」に救われていた。
この歌もやはり、
僕の歌であり君の歌であり、
彼女の歌であり彼の歌なのだ。
「僕らがかつて目指していた場所は
僕らがいつかたどり着くべき場所は」
とある。
この「僕ら」という言葉に、
キョウメイがある。
最後には、
「陽が差してくる 僕たちのこの世界に」
「陽が差してくる 君たちの明日に」
と綴られている。
そして、
「陽が差してくるかもしれない」ではなく、
「陽が差してくるのかな」でもなく、
「陽が差してきたとしたら」でもない。
「陽が差してくる」なのだ。
そう、
どんな時でも「陽が差してくる」のだ。
そのことだけが真実だというのに、
どうして僕らはいつも自ら、心を曇らせてしまうのだろう。
その歌の中に、
どんな愛があり、
励ましがあり、
温もりがあるのかを見つけられたなら、
どう歌えばいいかわかってくる。
そして必ず、
多くの人とキョウメイできる。
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